日々読んだ本(漫画、映画、例外的にテレビドラマ)の感想を、
ネタバレあり、粗筋なしで書いています。
批評批判は目的ではなく、個人的な感想文です。
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『ハゲタカ』
 【監督:大友啓史 日本】

NHKドラマ異例の映画化ということで、観客側としても見終わった今も信じられない気分。
あのハゲタカがスクリーンで見られる日が来ようとは…。感無量です。

正直、感無量すぎて現実感がなくてなんというか記憶に霞がかって…。えっと多分、ちゃんと理解はしてると思います。

がんがんネタバレをします。


 ドラマ版の流れをなぞるように、鷲津を劉に、芝野は鷲津に置き換えられ話は始まる。
あまりにドラマ版そのものではないか、というほどの既知感。
でも考えてみれば、ドラマも芝野を追う鷲津という構図は、鷲津を追う治という関係で二重になぞられ、立場を異にし敵対する者同士でありながら、共鳴し合う人間模様が描かれていたわけで、そのテーマは映画になっても踏襲された様子。
その証拠に劉は鷲津に「私はあなただ」と言う。そのセリフは最後にも形を変えて登場する。

ドラマの時同様、登場人物たちの心情がわかるセリフが少なく、一人一人のショットに長い時間を使う。
見ている側が不審に思うほどの長い間を演じる役者たちは大変な演技力を要するのだろうなぁ。
そして見ている側の集中力、読解力、想像力も問われるように思う。

ドラマはサブタイトルに「ROAD TO REBIRTH」とついているだけあり、鷲津の再生の物語でもあったのだけれど、映画では劉に救いが用意されていなかったことが意外であった。
末路の違いが鷲津と劉の違いを表しているのかもしれない。
劉が自分の出自すら偽り求めたのが、子どもの頃に見たアカマの自動車であり、それは劉にとっての成功、幸福の象徴であったのだろうし、それを作り出す日本という国そのものへの憧憬や羨望、もしくは劣等感を抱くに繋がっているのだろうと思う。
劉が最初の方で言う「私は日本人だ」というのは願望でもあったのかもしれない。
鷲津がドラマの最後で撃たれ、それでも再生できたのに対し、劉が暴漢に襲われ命を落とすのは、劉自身が何者でもなかったからなのかもしれない。
なんだか『インファナルアフェア』のアンディ・ラウを思い出させる。
極貧の農村に生まれ、アカマの自動車と、それを生み出す国に憧れ、本来の名前を捨ててここまで登り詰めた先、名無しの一人の人間として死ぬ劉という人物がひどく哀れであり、その最後の言葉を聞いた鷲津はまた重いものを一つ背負ったのだなぁ。

ハゲタカらしい過剰演出はやっぱり映画向きだなぁと嬉しく思いました。
買い叩くはドラマファンへのサービスっぽかったけど。
ばら撒かれた札束を拾う守山のシーンとか、何回かある記者会見シーン、劉の刺されるラストシーン。
そういやドラマは雨がよく降っていたけれど、映画はこのラストだけでした。
屋内のシーンが多いドラマなのだけれど、外のシーンはもの凄く暑そうか、雨のどちらかというメリハリ。
ただ、手持ちカメラは大画面だとややオエっとなる。

とりあえず、あと何回か観てもう少し理解を深めたいです。
なんやかんや書いたけれど、鷲津がエロいというその一点に尽きる(全部台無しの一言)。
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